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1997.7.19
馴れ初めは
私がコンピューターに初めてさわったのは、四国の某高専土木工学科での情報処理の授業でした。当時(昭和60年頃)は学校での情報処理はFORTRANが主流で、また計算機もバッチ処理方式の大型計算機で、プログラミングはパンチカードを「ガシャガシャ」とタイプして、カードリーダーから「ダダダダダ」と読み込み、しばらくすると計算結果がラインプリンタから「ダダダダダ」ど出て来るという素晴らしいシステムでした。
プログラミングやコンピューターには全く素人の学生がほとんどで、ただ訳も分からずに「/*/&」とか「EXEC FORTRAN」を暗号のように打ち込んでいました。のちに計算機の入れ替えが行われ、パンチカード不要で端末から直接プログラムコードを編集・実行できるシステムに変わりました。が、ここでまたやっかいな「LOGIN」や「LOGOFF」の操作が必要になりました。今考えればこれがTSS方式ではなかったのかと考えています(違っていたらごめんね)。
今や懐かしのFORTRAN、ほとんどコマンドは忘れてしまった。
パソコン
もちろん、パソコンもありました(8ビットの日立のマシンです)。これでBASICをやりました。といってもテキストデータ主体で、条件分岐やサブルーチン、関数などが関の山。グラフィックはCIRCLE文で円を描いたりした程度です。このころ、学生寮の各棟にも一台ずつパソコンが配備されました。NEC-9801VMという16ビットの当時最新鋭機!!。でも、私には16ビットも8ビットも何やら分からず、とりあえずN88BASICで簡単な構造計算や水理計算のプログラムを作って、設計製図や実験レポートに利用したり、はたまた寮内から入手したFD(もちろん5インチ)に入っていた「信長の野望」にはまっていた時期でもありました。
パソコンは日々進歩し、卒業研究の研究室になんと「ハードディスク」を装備したパソコン(EPSON PC-286)が入ったではありませんか。ただ、これは別の教官が別の卒研で使っていたため、ほとんどさわることはありませんでした。当時私が卒研で使っていたのは初代PC-9801で、FD外づけ(それも8インチと5インチ)、メモリ128KB(だったと思う)という非常に恵まれた環境だったので、BASICで配列を定義しすぎるとメモリが足りなくなり、プログラムが止まるという素晴らしいものでした。そこで苦肉の策で途中で8インチFDにデータを逃がし、必要なものだけ読み込み計算させてまたデータを逃がすという操作をしていました。これがまた動作が遅く、8インチのFDが「ウォーン、バサリ」と動くのをじっと腕組みして見ているという、のどかなものでした。見かねたPC-286の教官に、「これでやってみなさい」と、HDD内蔵パソコンを使わせてもらえたので、遠慮なく使ってみると、ハードディスクに「カーリコロコリコリ」と小気味よく書き込まれるデータに思わず「おお!!」と関心したものでした(ちなみに研究内容はBASICで組んだ立体骨組構造解析プログラムによるゲルバートラス橋の構造解析です。部材数も結構あったような気がしました。なにぶん昔のことは忘れてしまった。)。
そのころ、別の研究室には32ビット機(PC-9801RA)が導入され、おお、速いと感動したものです。
ポケコン
パソコンとともに忘れてはならないのが、「ポケコン」ポケットコンピューターです。当時はこれが一大ブームのように流行しました(学内にはポケコン同好会という怪しい?(失礼!)会もあった)。
私が買ったのはSHARPのPC-1475という、RAM8KB搭載、2行表示、倍精度計算可能という当時は素晴らしい性能のものでした。私はごくごく標準で用意されているBASIC命令を使ったプログラムしか書きませんでしたが、それでも結構はまってました。BEEPとか。ポケコンに「ゼビウス(?)」もどきのシューティングゲームを打ち込んで遊んでいる輩もおりました。学生の必須アイテム、昔ポケコン、今ノートパソコン。
就職1年目
1989年に学校を無事卒業し、建設コンサルタントに就職。支社のためコンピューターはなく、ワープロ専用機が1台「でん」と座っていましたが、しばらくするとここにも「PC-9801RA」が1台導入されました。もちろんHDD内蔵、一緒に3色カラーのドットプリンタも導入されました。主に使ったのは、MS-DOS上で動作するFORTRANで作ったと思われる「自社作成プログラム」でした。指定された形式であらかじめデータを作っておいて、読み込み実行させるものでした。
ときどき、訳の分からないメッセージが出てエラー終了することがありましたが、多くはデータ入力ミスでした。このとき、「マルチプラン」という表計算ソフトの存在も知りましたが、何に使えるのか皆目分からない。MS-DOSの勉強を始めたばかりで、それで手一杯。恥ずかしながら、会社の先輩に「*.EXEファイルの中身が見えんのは何で?」と聞かれて、「たぶん簡単に見えないようにプロテクトをかけているんではないですか。」などと、今考えてみれば赤面ものの薄い知識をひけらかしていたのです。
退社と再就職
その会社も1年で退社し、某村役場へ採用されました。びっくりしたのは、いきなり「Lotus-123」でマクロを組んで、実用に耐えうるアプリケーション並のワークシートを作って使っているではありませんか!それも庁内で開発ですよ!。まだこのころは建設課にPC-9801RA(よく見かけるな、しかし)1台しかなく、プリンタもドットインパクト方式で印刷に時間がかかったため、せっかくのパソコンも123もあまり活用されていませんでした。
ここで乗り遅れるべからずと、50万円ものお金を借りて、Newマシン「PC-9801DS」を購入し、123の勉強を始めました。123に慣れるまでは、とりあえず簡単な構造計算プログラムをN88BASICで作るか・・と思っていましたが、その必要はありませんでした。表計算ソフトは非常に便利です。入出力フォーマットを意識することなく、ただセル内に計算式を入れるだけでこんなに簡単に計算してくれるとは。このときから表計算ソフトは私の日常業務から切り放せないものになってしまいました。
CUIからGUIへ
やがて時代は移ります。新しく98MATE(486-66Mhz)「速さは力」マシンが導入され、お務めを果たした98DSはわが家へ帰ることになります。でも、部屋では「どうも雰囲気違うな」。そのころ買いあさっていたコンピュータ雑誌に、Macintoshの記事が載ります。GUIでマウスで簡単、マルチメディアにも対応。だんだんMacに心惹かれ、本体は持っていないのになぜかMac関連の雑誌を購読するようになりました。
そして、ある冬の日の新聞広告に「LC-475モニタ付き \248,000」とある。これを見て、すぐにボーナスもって100km以上離れた、そのお店に走りました。モニタは13インチでメモリは8MB、HDDは160MBしかなかったけど、ユーザーフレンドリーな設計とセンスに「おお!!」と感動しました。しかし人間欲なもので、98DSを売ってCD-ROM装置を買い、レーザープリンタを買い、メモリとHDDを増やし、それでも飽きたらぬ。このころモデムを買ってNiftyを始めて、いろいろな情報をオンラインで入手できるようになる(初めてNiftyにつなげたときには、思わずビビってしまった)。Niftyでは足らず、ローカルネットにも多数加入し、ついにはインターネットまで始めてしまった(このころはまだ高知県内に安いプロバイダがなく、大分にある定額制のコアラに入会。恐ろしく高い電話代にショック。)。そうなると28800のモデムに買い換え、ついには17インチのディスプレイまで買ってしまった。
それでもまだ何か足りない・・。そう、快適な速度が足りない。これ以上を望むとなると・・・。パワーマック(7600/132)がうちに届いたのが、96年の11月のことです。こうしてわが家には2台のMacが並ぶことになります(今は7600/200がもっと安く買える。泣)。
Macのよさは、やはり統一された操作と親しみやすさではないでしょうか。かといって、別にMacを崇拝するつもりはなく、Windowsをコケにするつもりもありません(仕事で使っているのはWin95だし)。一つのメニューバーと一つのマウスボタン、そして操作に正直なファイルとアイコン。シンプルでお仕着せがましさのないのがいいと思います。これで爆弾さえ出なければ・・・。
Windowsは3.0が出る前からかなり大騒ぎだったような。マルチウィンドウが可能で、マルチタスクで、アプリケーション間の連携がスムーズにできて、640KBの壁から解放される・・とかなんとか。しかし、現実はWin3.0は「一般保護違反」の固まりで全く使えなかったし、Win3.1になってそこそこ安定はしたものの、「640KB」の壁は依然存在し、マルチウィンドウはまず無理。常にリセットする必要がある。そんなWindowsは、所詮DOSの機能拡張にすぎないと思い始めたのも、そして「OS/2」というオペレーティングシステムの存在を知ったのもこの頃です。
OS/2のうたい文句は、「DOSも動く、Windowsも動く」真の32ビットマルチタスクOSだったと思います。シンプルなWPSの画面、そして安定性と堅牢性。それからはOS/2関連の雑誌や書籍を探し、必ずOS/2マガジンは買うようになりました。やがて仕事で使うマシンもPentium90の「9821Xa」になり、Windows95のベータテストが始まった頃、遂に98用「OS/2Warp3.0」を導入。その後例のお祭り騒ぎで売り出されたWin95と共に、98ブートメニューに組み込まれることとなりました。
OS/2は、「シンプルだけど実は高機能、かつ細かい設定が可能だけどそれなりのスキルも必要」ということと、「安定しているし、DOS/WINDOWSとは別次元。ただし、ネイティブアプリケーションがないに等しい。対応する周辺機器もほとんどない」ということに尽きると思います。
OS/2は確かに安定しています。WIN/OS2上で123/Winを使っていて、毎度おなじみ「一般保護違反」が出てもWIN/OS2を起動し直すだけでいいし、一般保護違反自体滅多に出ない。複数ドライブでのファイルコピーも同時にできる。おまけにインターネット機能も標準。WIN/OS2にすると若干速度が遅くなることと、たまに画面が乱れることを除けは優れもので、しばらくはOS/2がメインのシステムとなっていました。が、やはり最大の弱点は対応ソフトの少なさです。
OS/2ネイティブで有名なものは一太郎だけです(思わず買ってしまった。でもVer5)。123もあるらしいけど、見かけません。グラフィックス系/マルチメディア系はほぼ全滅。Win3.1対応のものなら使えますが、世の中Win95やNTがメインになりWin3.1対応のソフトがだんだん少なくなっていますし、バージョンの新しいものはWin95/NT専用のものがほとんどです。さらに大きなのがハードウェアの問題。OS/2対応のデバイスドライバを持つ周辺機器は非常に少ないです(特に98用なんてNECしか出していません)。プリンタにしても、Win/OS2から印刷した方がきれいで正しい印字ができるなんて・・・。Warp4になって多少変わったかもしれませんが、残念ながら今のメインマシン9821Xa(Penium200)では、OS/2は稼働していません。
プログラミング
ところで、プログラミングをぼちぼち始めようかと思っています。学生のころかじったBASIC/FORTRANを思いだし、やってみようかと考えたのですが、プログラミングの世界も恐ろしい速度で進歩していました。
以前98DSを買ったとき、一緒にMS-QuickCを購入し、「今からはCの時代だ!」と息巻いてとりかかったものの、何が何やら全く分からずとりつくことができず、結局ごくごく簡単な計算だけのプログラムしかできませんでした。そんな計算なら123でもできるわい、とそれ以来放ったらかしていましたが、表計算の世界でもプログラミングが必要になってきたのです。EXCELのマクロは早くからVBAというVisualBasicのようなものになっていましたが、遂にLotus123-97でもマクロが「Lotus-Script」というVBライクなスクリプト言語にとって替わりました。それに加えて、インターネットの世界ではJavaScriptというHTMLの中で使える言語があちこちで使われ始めました。
これらの言語は、BASIC/FORTRANのような手続き記述型ではなく、構造化、モジュール化の容易な設計であるかわりに、私の頭の中にあるプログラミングの概念そのものを変えないとなかなか手強そうな相手です(C/C++は、手も足も出せるレベルではないでしょう–これは前からか)。まあ、理屈ばかりいってもいけませんので、初歩的なものから始めて、固まりつつある脳味噌を叩きほぐしながらやっていきたいと思います。
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