スイス研修語録03

04スイス

西洋とは何か

西洋における条例とは

 スイスでは、法律、条例等はよく守られている。一時期難民等の流入により乱れたこともあったが、住民により意識的に元に戻される。良い意味での「公共性」、他人が嫌がることをしない「マナー」。
 対して、郷に入っても郷に従わない日本人。特に集団になると異様な行動をする。

なぜ条例、法律が必要なのか

 ヨーロッパは多民族、多国籍の国家である。例え悪法でも法は守り、厳しい処罰もある。これが国造り、まちづくりのための一つの方法である。宗教、民族を越えた普遍性のため。

地方における発想の転換

無いから作るのではなく、無いからそのままにしておく。それが地方の個性につながる。

都市とは何か。西洋(ヨーロッパ)とは何か。

大きな違いは、ヨーロッパは大陸であり、日本は島国である。
ヨーロッパの国民一人一人に「国を守る」意識がある。国家、国境線の脆さを知る民族である。
特にスイスは農業国(自給自足)、観光国なので、地域を守ることが国益につながる。
そのための法律による強い規制、個人のモラル。 多民族の寄り合い所帯を守る。
戦争と侵略の歴史。

明確なコンセプト「都市」「地方」とは何か

 変わらぬスイスの都市(Stadt-City)の数。対して激増する日本の都市(市)。
ただ人工が増えたから「市」になるのではない。住民自らが自分たちの街が本当に「都市」にふさわしいものを備えているかをクールに見つめている。都市、地方の概念が明確に人心にあり、「都市」に必要なものは何か、「都市」にふさわしい「都市」とは何かを知っている。いわば、西洋人にとっての「都市」の概念は、日本人にとっての「わび」「さび」「間」「気」のような観念で存在する。

時代の連続性について

 ヨーロッパは良くも悪くも過去の歴史を背負ってきた。対して、日本は明治維新と第2次大戦という2つの歴史の大きな不連続点がある。この変化点において、日本人はそれまでとは全く別の人種になったといえるほどに変化してしまった。たとえば、水戸黄門と明治時代の日本人、現在の日本人は本当に同じ日本人なのだろうか。特に日本が第2次大戦終戦後にまねたものは「西洋」ではなく、歴史の連続性のない「アメリカ」であった。
 歴史は重く、時として後世の負担になる場合もあるが、ヨーロッパでは国のあちこちにその土地の歴史が残っているのが当たり前である。

地方(自然)があるから国や都市が存在する。それらは互いに補完し合う関係にある。

物事の本質を知る、見抜く

 明治維新とともに、かつての日本には無かった言葉が西洋から入ってきた。「都市」「社会」「個人」「自由」などである。我々は本当にこの言葉の意味を知っているのか。実は本当は未だに知らない。日本人はこの言葉の本質について何も知らないことを知る必要がある。日本にとって大切なのは、「形」を模倣するのではなく、ことの「本質」「思想」を知ることなのである。

 近自然工法においても、西洋、スイスにおける「形」をまねるのでなく、その本質を知らなければならない。その「本質」「思想」を現場において具現化するのが「応用力」であり、「技術力」「技(わざ)」なのである。

 西洋における近自然工法の本質や思想を見ずに、西洋においての形態、形状がそのまま日本に導入できないといってあきらめたり批判したりするのは、自己の技のなさをさらけ出すようなものである。
これらのことを実感として「分かる」能力を磨かなければならない。そのための「視察」であり、「研修」である。

目的意識

Zurich大 Irchel校においては、学校建設のはじめに明確なコンセプトがある。

維持とは、自然自身の成長が可能な生育環境の保持である。人間が管理を容易にするための「維持管理」ではない。

  • 資源、環境、エネルギーに対する「意識」の違い。
  • 交差点をロータリーに改造(交差点での待ち時間をなくす)
  • 自動車の信号待ちでのエンジン停止(燃料の節約、環境への配慮)
  • 建築物屋上の芝生(断熱効果、環境緑化)
  • 廃熱の利用(ゴミ焼却の熱利用)
  • 建築物の新築、改築に対する住民審査
  • 資源リサイクルの徹底(鉄、アルミ、ガラス、プラスチック、陶器、土砂、枯葉等)
  • 建物の窓の外側にあるブラインド(効果の大きい日除け)など

かつては滅びかけた自然、生態系が復活蘇生しつつある。
スイス人みんなが環境に対する意識や知識が特別高いわけではないが、頭を使って覚えたものではなく、感覚として体で覚えている。幼少から体にしみこんでいる。これが大事なのである。

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